2022年10月28日金曜日

郊外ノ病院ニテ痔核ヲ見タルコト

 たとえば「今夜、すべてのバーで」のように、「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」のように、入院するとオモロいことが私にもあるだろうか、とちょっとだけ期待したものの、そんなものはなかったのだが、それでも手術後ベッドに寝ていただけの長く間抜けな時間をただ忘れ去ってしまうのもアレなので、この期間のことテキトーに書き記しておこうと思う。


そもそも入院を伴う痔の手術を受けようと決断したのは、年々上がり続けるγ-GTPの数値が6月の健康診断でとうとう400を超えその後も下がらず、かかりつけ医に「そろそろ飲み方を考えないとこれからの人生に影響及ぼすことになりますねぇ」と言われたのがきっかけっちゃあきっかけだ。

「アルコール性肝炎とか肝硬変の入口にいる」と言われ、休肝日は週2日、そして飲酒記録をつけるように、とのお達しであった。休肝日を設けながら酒を飲む、ということが私にはできない。試したことはあるが、明日休肝日で飲めない分たっぷり今夜飲んどこう、昨日休肝日で飲めなかったから今夜はたっぷり飲もう、という情けない態度によって酒量は増え、まるで休肝にならない。なんだバカバカしい、といって結局休肝日をなくしてしまうからだ。

9月最終週、息子がセカンドスクール(昔でいう林間学校?)で白馬に4泊するという。その間に発熱などあれば保護者は自家用車ですぐ迎えに行かねばならない。のでヨメに禁酒を命じられた。ヨシ、それならいっそそこから10月いっぱい禁酒して、11月アタマに採血検査、そうすればγ-GTPも下がり、晩秋には堂々と酒が飲めるだろう、と考えた。

弱った肝臓とは別に、もう20年近く私を悩ませているやつがいる。痔である。内痔核である。33歳頃は痛みというよりとにかく出血がひどく、一度貧血でぶっ倒れ、フラフラで病院にたどり着くと「よく意識がありますね、本来あるべき血液量の6割くらいしかないですよアナタ今」と医者に驚かれ、その場で輸血したほどだ。

その後ごまかしごまかし痔と付き合ってきた。リキむたび公共トイレの壁を血まみれにしたこともあるし、下北で飲んでる最中にイボが破裂しジーパンの尻が血まみれになったまま井の頭線で帰ったこともあるし、しばらく生理ナプキンを常用して暮らしていた時期もある。ここ数年は、小康状態を保っている、と言えば言えるが痔核風船の膨らみは飲酒とともにその存在感を増し、正直排便が毎度毎度ツラいのであった。

昨年、とある痔克服先輩に専門病院を教えてもらった。話によるとその病院では手術と入院と自宅安静で3週間ほどの療養になるが痔はキレイに治るそうだ。いつか行ってみようとは思いつつ日常の雑事にかまけていたわけだが、1ヶ月強の禁酒を決めた今こそその期間を痔の治療にあてるのがモアベターなのではないかとフト気付いた。

話が長くなったが、肝臓を休めるために酒を断つ、痔に悪影響する酒を断つと同時にお尻を手術してしまおう、療養期間を終えれば晴れてまっさらなカラダで心置きなく酒が飲めるぞ、というむなしい発想でございます。

さて、入院である。入院てしたことあったっけ? そういえば幼稚園年長の頃に入院したことがある。喉仏のあたりに腫瘍ができてそれを除去する手術で入院したのだった。県立の総合病院で入院病棟も大きかった。館内放送で流れていた音楽の記憶。覚えているのは、起床時は『四季』の「春」とか、21時消灯前には「All you need is love」とか。その時はもちろんヴィヴァルディやビートルズを知っているはずもなく、それは小学生になってから知った(ポンキッキで流れていた「When I'm Sixty-Four」がビートルズの曲だとのちに知ったように)。わりとこう、風通しの良い広くて明るいところだったイメージ

それに比べ46歳になってしまったおじさんが今回入るのは郊外のこじんまりした肛門病院の相部屋。コンパクトにまとめた荷物を抱えていざ病室へ。入口とベッド頭部に名札が貼られているが、早速名前の漢字が間違っている。まあそれで困ることもあるまいし、そういう名前の人になりきって入院生活を送るのもよかろうと、そのままにしておく。

入院翌日が手術。手術室に入るとガウンを脱がされ全裸に。看護婦さんたちの前にスッポンポンで立つ。身につけているのは眼鏡のみという自分の姿が可笑しい。高校生時分、地元の博多祇園山笠ではフンドシ姿になってヤマをカイて(山車を担いで)いた。フンドシを巻いてもらうため女性陣の前でフリチンになるのはとても恥ずかしかった。46歳になるとどうだ、全裸でトホホとハニカむだけだ

スッポンポンのまま手術台に大の字でうつ伏せ。これも実に間抜けな姿である。心拍数がずいぶんゆっくりだと指摘された。水泳とかサッカーとかマラソンとかやってました?と訊かれたが10代の頃ちょびっとサッカーやってたくらいでこの歳まで影響するんだろうか?

腰椎麻酔で痛みはないまま手術は終わったが、切除部分が太い血管を含んでいてかなりの出血あり、気分は大丈夫かと途中何度も心配された。切除したモノを私に差し出しながら説明しようとする先生のお顔を見ると、肛門から噴き出た血をたっぷり浴びていた。すまんこってす。

先生が指先でプニプニいじりながら切り取ったブツを解説(私は全裸で手術台に突っ伏したまま)。痔核からはポリープが長く伸びてその先が輪っかを描くようにしてまた痔核に複雑に癒着していた。なんなんだコレは。しかし見た目は砂肝のようで、串に刺して塩して焼いたらわりと美味そうである。成敗してもらった憎きイボというより、自分が長い時間かけて育てたヤツ、愛い奴、に見えた。ホルマリン漬けにして5千円で販売します、と言われたら購入したと思う。

紙おむつをはかされ病室ベッドへ運ばれる。大学生の頃、ステージ衣装として紙おむつ一丁で弾き語りをやったことがある。明大前の小さな薬局に紙おむつを買いに行ったら老店主が「そんなにお若いのに介護なさって偉いですね、おじいちゃん?おばあちゃん?のお世話ですか」と対応されたのを覚えている。その時は「へへ、まぁ」などと誤魔化してしまったが、今日は人生2度目にして堂々と着用する大人用紙おむつだ。

その後は点滴を受けながらひたすら寝る。タイミングが来たら食事とお風呂開始。カラダを起こすと麻酔後遺症(髄液が漏れて脳圧が下がる?とかなんとか)の頭痛がツラいので、退院までベッドに横になってるしかない。テレビは観ない習慣なのでネットニュースで、高橋祐也氏覚醒剤所持で5回目逮捕、小室圭氏NY州司法試験3回目で合格、小田原ドラゴン先生2000万円差押え、など。

入院5日目の午後、風呂から上がって部屋に戻ると隣りのベッドに新規入院のオッサンが。とてもタバコくさく鼻を何度もかんだかと思えば喉がイガイガしてそうに咳込み呼吸がハァハァ荒く全ての動作にうるさい物音をたてる。イヤな予感というより即アウトじゃよコリャ。スマホは常にブーブーなにかを受信し飴玉をいくつもカリコリ舐め回しガムをクチャラクチャクチャ…これは相当キツい。

夜、耳栓をして寝たもののイビキのすごさが伝わってくる。翌朝、私と同時に入院し同日に手術した同室のQ氏「昨日は1時間も眠れなかったですよ…」。夜中に部屋を抜け出し1F待合室や3Fロビーで寝ようとしてみたが看護婦さんにだめよと言われたという。

そこでQ氏、ナースステーションに直訴し部屋を移動させてもらえることになった。私にも「看護婦さんに頼んでみたほうがいいっすよ」とすすめてくれる。が、これで軽々に移動する私ではない。退院まで地獄に耐えてやるというこの泣き寝入り体質を捨ててしまっては私が私でなくなる。唯一の長所、痩せ我慢の見せどころである。

次の日の朝も隣のイビキ男、起床時刻前だというのに勝手にシャーッと荒々しく窓のカーテンを開けグビグビ飲んだペットボトルをバキバキ大音量で握りつぶしそれをゴミ箱に投げつけた音がガコーンと薄暗い部屋に響く。朝食後、でかいイビキをかいて寝ている。昼食後、またでかいイビキをかいて寝ている。

夜巡回の看護婦さんにこの男が言う「いやぁ、眠剤もらえます?もう全然眠れなくって」。怖い。痔と向き合うはずだった私の入院が、もはやこの男と向き合う入院にすり替わっている気がする。

院長の診察で、思ってたよりも早い退院日が提案された。起き上がると頭痛は相変わらずだが、どうせ寝ているだけなら自宅で寝てればいい、不快な男とはさっさとおさらばだ、と判断し入院8日目で退院した。

肛門からの出血と分泌物があるので多少の痛みとともにまだまだこまめにガーゼ交換しながらパンツ内の違和感を我慢しなくてはならない。排便時の痛みにも慣れなくてはならない。これから2週間、刺激物も酒も運動も運転もNGだという。定期的に診察へも行かねばならぬ。

肛門の悩みからすっかり解放されるのはまだまだ先のようであるが、早くその日よ来いカモンカモン、これを「♪コゥモン コゥモン」に代えてビートルズ『プリーズプリーズミー』を歌いながら、家の布団に横たわっている2022年の秋である。